次の学会発表のためのメモ(4):映像を補完する,映像で補完する

次の学会発表のためのメモ(1):映像の間主観性(?)
次の学会発表のためのメモ(2) :ヒトの気配,コンピュータの気配
次の学会発表のためのメモ(3):間主観的な映像:ヒト|データ|モノ
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コンピュータディスプレイという「ビット入出力界面」を挟んで,論理で考えきれないヒトと因果の流れに入りきれないコンピュータとが対峙する.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/12519378495

ディスプレイに映るピクセルの集まりをめぐって,ヒトとコンピュータとは異なる対応をしている.ヒトは映像を因果関係で補完するのに対し,コンピュータは論理を映像で補完する.ヒトは映像を単なるデータの流れとして見ることができず,コンピュータはデータの流れをそのまま表示できない.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/12519681155

コンピュータがデータの流れを映像にしてしまうのは,ヒトに理解してもらうため.ヒトがデータの流れを理解したいがために,ビットをピクセルに変え映像にする.ヒトが中心となって,データの流れを構成している.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/12520117570

しかし,純粋なデータの流れの中では,ヒトはここにもいるし,あそこにもいるし,そこにもいる.モノはここにあるし,あそこにもあるし,そこにもある.「いつでもどこにもある」というデータの流れを生むコンピュータは,「かつてそこにあった」という意識なしで映像を考える可能性をヒトに与える.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/12520465038

ヒトとコンピュータとのコミュニケーションが,因果と論理とが入り混じった映像を生み出す.それは,データに基づいた映像であり,データを操作することであたかもモノのように扱える映像である.ヒトとコンピュータとが共有する世界における今までとは異なる映像.
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