ただモノの表面に触れていくこと

触れること.何かに触れること.それはだいたいは持つためだったり,握るためだったり,押したり引いたりしたりするときに,手とモノとが接触することだったような気がする.ヒトとヒトとが触れ合うときには,触れ合うことが目的になることが多いけれど,ヒトとモノとの関係において触れることがメインになるときは,手触りを確かめるためが多いような気がする.指をモノの表面でツーと動かして,その感触を確かめる.感触を確かめるだけで,他に何をするわけでもない.愛でる,という感じ.そこではモノは動かずただあり,その表面だけを私たちに向けている.そのとき,手にはあまり力が入っていない.モノを動かしたりしないわけだから,そのモノが重そうに見えていようが,軽そうだろうが関係なく,指をただスーッと動かすだけ.押すという感触ともちとちがう.表面を指を滑らすようにする.なんかこのモノはまったく動く気配もなくというか,私たちがモノを動かす気配もなく,モノに手を伸ばすときというのは,あまり実用的ではないような.だから,愛でる,という感じ.でも,愛でているとき,触れているときに,指の感覚の解像度はドッとあがる.持っているときや握っているとき,押したり引いたりしているときとは全く違う.そう,まさに指の表面が主役となっている.折り曲げる指の関節や,手のひら,手首,肘,肩と続く筋肉が連動して何か動作を行う際の,モノへの接触面というなんか末端の役割のような感じではなく,指の表面の感覚こそに意識を集中するような.ただモノの表面に触れていくこと.モノを動かさずに,ただ触れること.

そんなことを iPhone を操作しているヒトの手の動きを見ていると考えてしまう.使っているヒトの手の動きは何かを愛でているような,とても優しげというか,モノを扱っているように見えない.別に大切に扱っているというわけではないのだけれど,指の動きがなんか見慣れないのです.自分はまだ iPhone 持っていないので,まだ観察のみですが.実際に観察したり,youtube で動画を見ていたりすると,なんか興味深い指の動きをしているのです.自分が Macbook のガラス製のトラックパッドに触れているときも,とても滑りがよいときは,スースーと触っているような.どこにもひっかかりがなく淀みなく,ただ触れている.スクロールするためだったり,カーソルを動かすために触れているのだけれど,特にスクロールを延々としているときは,なんかスクロール自体が楽しくなってきたりする.ちょっと汗をかいて,滑りが悪くなるととても嫌な感じがする.手を拭いたり,右手を左手に変えたりする.とても生理的な感じ.

この生理的な感じやこの文章でツーとかスーとか擬態語を使ったところをどうにか,もっとちがった言葉にしていきたい.ちょっと,「愛でる」という言葉をとっかかりにしてみようかな.

このブログの人気の投稿

東京大学大学院講義「建築設計学第3」:建築と「もの」の振り返り

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

「薄さ」を与えられた平面:藤幡正樹の作品における平面の諸相

ポスト・インターネットで途方にくれないためのメモ

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

メモ_融けるデザインとexUI:渡邊恵太さん

MASSAGE連載01_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/サーフェイスからバルクとしての空間を透かし見る

『メディア・アート原論』への寄稿

メタファーと身体の関係

東京大学大学院講義「建築設計学第3」:建築と「もの」でのゲストレクチャーの告知💬とメモ✍️